たまたま監督をしたら楽しかったんです。
- ――
- 深川監督はニューシネマワークショップ(以下NCW)に入る前に、映画の専門学校に通ってたんですよね。
- 深川:
- はい、東京ビジュアルアーツという専門学校にいました。ビジュアルアーツに18歳で入ったときは、漠然と映画の仕事をやりたいけど、多分録音部くらいがいいのかなと思ってました。監督とかプロデューサーとかにはなれないだろうなと。
- ――
- それは自分が、そこまで才能がないだろうということですか。
- 深川:
- 自分の技量がどこまであるのかわからなかったですね。ただ漠然と、映画の現場だったら毎日ドキドキワクワクできるのかなと思って映画を選んでいて。そこの卒業制作でたまたま監督をすることになって、その時が楽しかったんです。でも監督は何となく無理そうだから、脚本だったら地道に努力すれば出来るかなと思って、卒業後1年間脚本の勉強をしてたんですけど、やっぱり映画をつくりたくなっちゃって、もう一回監督をしたいと。その時、NCWのチラシを映画館で見たんですね。それに「トータルプロデュース」と書いてあって。映画をつくるだけじゃなく、それを観客に観せなきゃいけないんだという。新しい価値観を感じて、それを知りたいなぁと思って入ったんです。
- ――
- 「プロの監督になるぞー!」というより、とにかくもっと映画をつくりたいということですか。
- 深川:
- 諦められなかったんですね、面白くて。
- ――
- ビジュアルアーツでつくったのは、「全力ボンバイエ!」という作品ですよね。これは賞を獲ったんですよね。
- 深川:
- はい。水戸短編映像祭の水戸市長賞を獲りました。
深川栄洋監督
- ――
- 森監督はまた違った経緯ですよね。確か大学で演劇をやっていたんですよね。
- 森:
- 俳優ですね。高校では野球をやっていて。で、高校野球が終わってしまって、何か人前に出るのが好きな少年だったので。
- ――
- 目立ちたがり屋?
- 森:
- そうですね。今は違うんですけど、当時は前に出たくてしょうがなくて。で、俳優をやってみようと。ちょうど受験生時代に見た演劇に感銘を受けて。それで、早稲田大学の劇団に入って。こういう見てくれなので、三の線の名優としてならしたんですけど(笑)。でも俳優を一年間やっていて、先輩の演出がちょっと気にくわなくて。僕の使い方がわかってないと(笑)。
- ――
- 生意気だった?
- 森:
- 生意気でした。それで、自分で脚本書いて演出しようと。自分で主演とかもやっちゃって、クリント・イーストウッドばりの(笑)。そこから演劇の演出を3本やりました。でも大学の劇団の物足りなさというのがあって、同級生たちと反目してしまって、俺が出て行くみたいな話になっちゃいました。出て行くと、今度はやることがなくなってしまったんです。そしたら「トータルプロデュース」と書いてあるチラシを見つけて、なんだこの胡散臭いチラシはと思って(笑)。でも近所じゃないかと。大学から近かったので映画をやってみようと思って、流転の末にニューシネマワークショップに来ました。映画に逃げてきたというか。
- ――
- 逃げてきたというのは、それ以前はあまり映画に興味はなかったんですか。
- 森:
- やっぱり演じてみたいということからスタートしたので、映画好きということではなかったですね。演劇の演出をし始めてから、その当時流行っていたような、ダニー・ボイル(「トレイン・スポッティング」監督)とか、あの辺のものはチェックしていましたが、昔の映画とかをいっぱい見ているタイプではなかったです。
森義隆監督